かめさんの中国ビジネス奮戦記
中国にかかわって30年近くになります。中国との出会い、中国語の習得、そしてビジネスの世界への経験をまとめ、同時に現在進行中のビジネス現場から生の日中ビジネスの姿を公開するものです。
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かめ

Author:かめ
小学生の頃、佐渡の向こうに大陸があって、中国があると聞いた。中学生になって深夜放送に夢中になるが、中国語の甲高いアナウンサーや、変な日本語でお国自慢ばかりしている北京放送が耳につき始める。最初は馬鹿にしていたが、それが興味に変わって行った。それから数十年、中国語の習得、中国駐在、ビジネス、プロジェクト推進など中国と不思議な縁が深まって行く。 振り返れば・・・、面白いじゃないの。 ブログにしてみようと思った。 独断と偏見の中国なんちゃってビジネス奮戦記である。

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未来志向
北京に留学していた頃、カンボジアの留学生たちと仲良くなりました。どちらかというとポルポト派の関係者でしたが、シアヌークさんに期待を寄せている人たちだったと思います。おっとりした人たちであまり政治の話はしませんでしたが・・・。 その5年ほど前に、歴史的な事件があり、彼ら彼女らは多数北京に身を寄せていたのでした。

確か高校生の頃、クメール・ルージュが政権を奪取し、「民主カンプチア」の成立を宣言しました。その後ベトナムはカンボジアから亡命していたヘン・サムリンを担ぎ出し、親ベトナム政権樹立の為に79年1月にカンボジアに侵攻しました。ポルポトは密林に逃亡し、ポルポト政権は崩壊したのでした。この問題の背景には中国とソ連がそれぞれかかわっていた事はご承知の通りです。

79年2月、中国は「懲罰」と称して約20万の陸軍と作戦機300機を投入してベトナムに侵攻しました。緒戦では国境の町ランソンを占領したものの、米軍との長年の戦争で実戦経験豊かなベトナム軍はソ連からの情報を得て、兵力を温存し、実は人海戦術で旧式の装備の中国軍を引きずり込んでいたのでした。結局ベトナム軍に手ひどくやられ戦死者2万人、戦傷者4万人を出して撤退しました。中国軍は撤退に際し、占領としを徹底的に破壊したため、住民約1万人が犠牲になりました。

中国は敗戦に対し、「対越自衛反撃戦の所期の目的を果たした」と称して撤退を決めたのでした。戦後ベトナムは当然「中越戦争」への謝罪を要求しましたが、「もっと未来志向にならなくてはならない」と謝罪を拒否しています。

そうです。未来志向にならなくてはなりません。子孫の代になってまで騒ぐなどもってのほかなんです。
明日から中国に行ってきます。私は常に未来志向です。

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テーマ:中国 - ジャンル:海外情報

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